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1月1日(木) 謹賀新年
◆故郷の旭川市は晴れ。piratesrock
◆新年明けましておめでとうございます。昨年中は本当にお世話になりました。今年もがんばっていい作品を書こうと思います。
◆twitterでもお知らせしましたが、今年の予定、まずは単行本新刊は今月に『coffeeblues』(実業之日本社)、3月に『荻窪 シェアハウス小助川』(新潮社)、4月に『東京バンドワゴン本編新作』(集英社)、夏以降に『キシャツー』(河出書房新社)、『話虫干』(筑摩書房)が予定されています(あっ、ひょっとしたら『娘の結婚』(祥伝社)も)。文庫は『オール・マイ・ラビング 東亰バンドワゴン』、『HEARTBEAT』、『キサトア』、『わたしとトムおじさん』が予定されています。その他にも書き下ろしで〈集英社みらい文庫〉さんからと、幻冬舎文庫〈ザンティピーシリーズ〉を予定しています。ひょっとしたら他にもあるかもしれません(^_^;)。今年も出し過ぎです済みません。よろしくお願いします。
◆今年は去年より突っ走りたいと思います。ROCK 'N' ROLL!!ですから転がり続けないと苔が生えてしまいます。そういう意味で、もっと高度を上げられるように加速をつけます。そんな気持ちで一年間行ってみようかと。
◆明日の夜からは通常営業になります。

1月2日(金) 日々
◆穏やかな天候のお正月。fanky
◆帰宅しても雪かきしなくてもいいというのは本当に嬉しい。例年通り実家を二件回ってきたわけだが、子供が小さい頃は両方の実家合わせて一週間以上の帰省だったのだけど、ここ何年かは三泊四日になっている。ひょっとしたら長男が社会人になる来年からはパターンが変わるかもしれない。実際、いつ何時実家に帰らなくてもよくなってしまうかもしれない年齢だ。それも人生なのだと嘯ける年齢にもなった。写真は〈FANKY MONKEY BABYS4〉。いいお笑顔だ。
◆たぶん一年ぶりに何時間もテレビを観続けたのだけど、まぁ相変わらずだ。バラエティを観るコツはとにかく何も考えないこと。考えてしまうと全ての魔法が解ける。そういう意味ではディズニーランドもバラエティ番組も同じなんだろう。その質の高低はともかくとして。
◆2012年、世の中は変わるのかもしれない。変わらないのかもしれない。とりあえず希望としてはどんなに変わってもサッカーワールドカップだけは未来永劫続いてほしい。
◆ただ日付が変わるだけなのに、気持ちを新たにできるのが新年の良いところ(^_^;)。実家巡りも終わって僕の正月も終わった。今日からはいつも通り、原稿を書き続ける日々。がんばろう。とにかく、がんばろう。

1月3日(火) 日々
◆晴れたり雪が降ったり。narazumono
◆毎年この時期に書いているけど、1月になると気持ちが少し軽くなる。新春なのだ。新しい春。北海道は雪に閉ざされる厳しい冬の真っ最中、12月までは冬がどんどん厳しくなるというイメージなんだけど、1月になればそれは〈春を待つ季節〉になるからだ。もちろん冬はこれからが本番。積雪も1月がいちばん多いし、寒さは2月がいちばん厳しい。それでも、もう〈春を待つ季節〉なのだ。土の匂いが立ち上がってきて緑が芽吹き出す生命の力強さを感じる北国の春。ひたすらそれを待つ冬も、そんなには悪くない。
◆写真はイーグルスの永遠の名盤〈ならず者〉。何度も書いているけど、北海道で三代以上続いている人の先祖は食い潰れ者か犯罪者かかけおち者のどれか(by 僕のじいちゃんがいつも言ってた)。表現は乱暴過ぎるけど、当たらずとも遠からじだと思う。小路家の先祖も脛に傷があって落ちぶれて新天地で一旗上げようとやってきたいわばならず者、アウトローだ。アウトロー上等。何もかもを失ってもそれでも前を向いて旅を続けるその気概だけは受け継ぎたいと思っている。
◆アジアに目を向けろ、という風潮があると思う。それはまぁ悪くはないと思うけど、イギリスを中心としたヨーロッパやアメリカの文化に触れて憧れ続けてきた世代としてはなんかイヤ。アジアではなく日本を見つめなきゃならないんじゃないのか。西欧の文化に触れ日本を見つめ直してきた先達がそうしたように。僕等は十二分に西欧の文化に触れそれを吸収してきた。吸収して新たに育った文化もある。誤った観点から捨ててしまった日本独自の文化も多々ある。日本は素晴らしい文化を育ててきた国なんだ。右とか左じゃない。美しいものを美しいときちんと子供たちに教える教育は必要だろう。

1月4日(水) 日々
◆雪が降ったり晴れたり落ち着かない天候。chttybang
◆何を信じたらいいんだろうと不安になる人がたくさんいたから宗教とか生まれたんだろうけど、何かを信じようとしなくてもいいのではないかとも思う。だって足が速かったら足の速い自分を信じるし、料理が上手だったら自分の腕と舌を信じるし、恋すりゃ誰だって相手の愛情を信じる。そんなもんでいいと思うんだけどどうなんだろう。たぶん、大昔から普通の人々はそうやって生きてきたと思うんだ。一部の頭は良いけれどひねくれものが理屈を捏ね繰り回して何かをでっちあげてきたんだろうと思う。
◆決して無常観というものではなく、明日太陽が風邪を引いたら地球なんかあっという間にどうにかなってしまう。必要以上に何かに脅えたり強迫観念に囚われる必要はないと思うんだ。明日も明後日もその次も犬の散歩をきちんとするってことでいいんじゃないかな。
◆写真は名作映画のひとつ『チキ・チキ・バン・バン』。小学二年生かそこらのときにこの映画を僕は映画館で観た。父親に手を引かれて観に行ったのだけど、その楽しさに観ている間ずっとワクワクドキドキしていた。帰り道だったか、後日だったか覚えてないけど、映画の車のミニカーを買ってもらった。それが嬉しくてずっと長い間その空を飛ぶ翼を持った車で遊んでいた。いつどこでそのミニカーが僕の手元から消えてしまったかも忘れたけれど、今も映画の楽しさと手のひらに乗ったあのミニカーの感触は覚えている。大切なのはそういうことだ。